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浦和家庭裁判所 昭和37年(家)453号 審判 1963年3月15日

申立人兼亡細川れん承継人 細川森雄(仮名)

相手方兼亡細川れん承継人 細川三郎(仮名)

被相続人 亡細川次郎(仮名)

主文

本籍および最後の住所埼玉県大宮市日進町○丁目○○○番地被相続人亡細川次郎の別紙目録記載の遺産のうち、(一)、(二)の物件を申立人細川森雄の取得とし爾余の物件につき亡細川れんの相続分は申立人と相手方との共有とする。

理由

本件申立の要旨は、「申立人は被相続人亡細川次郎の二男相手方三郎は長男であるところ、被相続人は昭和二七年二月一三日死亡し、その相続人としては申立人に相手方三郎および被相続人の配偶者亡細川れん(本件の元相手方で昭和三七年九月一九日死亡)の外に子沼上さく、二女水野うら、三女山口くめ、五女山口まるがいたが、相手方と細川れんを除いた相続人はすべて浦和家庭裁判所に相続放棄の申述をなし右申述は受理され、被相続人の遺産は相手方と細川れんの共有となつた。しかるところ、申立人は昭和三六年二月一〇日細川れんから同人の相続分三分の一のうち三分の一の贈与をうけた。そして被相続人次郎の遺産は別紙目録記載のとおり田七反四畝一六歩、畑六反九畝二七歩、山林四反三畝一八歩及び宅地一反七畝一二畝(五五二坪)この合計二町五畝一三歩の土地と家屋一棟(床面積七二坪八合)であるから、細川れんの相続分は家屋を除外して土地だけについても少くとも平均的な算数上六反八畝三歩余となり、その三分の一即ち二反二畝二〇歩余を申立人が譲渡を受けたことになる。しかし申立人は相手方も容認できるよう、これを更に内輪に算出し具体的には右遺産の土地の内大宮市日進町○丁目○○○番畑九畝八歩、同所○○○番山林一反四歩の合計一反九畝一二歩を予定し先づ細川れんの相手方に対する遺産分割を求めたが、相手方はこれに応じないので、右の趣旨の遺産分割を求める。なお、元相手方細川れんは昭和三七年九月一九日死亡し同人に対する相続が開始したが申立人と相手方以外の相続人である水野うら、山口まる、山口くめは昭和三七年一二月一七日相続放棄の申述をなし浦和家庭裁判所に於いて同年同月二四日受理された。よつて、同人の相続人は申立人と相手方となつたので、申立人は右分割を求める以外の細川れんの相続分については相手方との共有を求める。」というのであつて、これに対し、相手方細川三郎の主張は、「被相続人次郎の配偶者細川れんは被相続人の三五日の法事の際、前記次郎の遺産相続について右配偶者れんを含む全相続人間で協議をなし全員相手方に相続させることとし相手方以外の者は昭和二七年五月二日浦和家庭裁判所に相続放棄の申述をしその申述は同年五月二〇日受理されているから細川れんは被相続人次郎の遺産について何等の権利をも有するものではない。従つて、細川れんが同人の相続分の一部を申立人に譲渡したからといつても申立人は前記遺産につき何等の権利をも有するものでない。」というのである。

よつて本件記録に添件されている昭和三六年五月九日附及昭和三七年一一月三〇日附埼玉県大宮市長秦明友作成の戸籍謄本、昭和三六年六月二〇日附大宮市長秦明友作成の固定資産土地および家屋課税台帳登録価格申請証明書七通に、浦和地方裁判所昭和三六年(モ)第二八七号証拠保全(証人細川れん)記録、当庁昭和二七年(家)第一、七〇九一、七一四号相続放棄申述事件記録及び当庁昭和三七年(家)イ第三二号遺産分割調停事件記録ならびに証人沼上さく、同山口くめ、同水野うら、同山口まる、同細川千代子の各証言、元相手方本人亡細川れん、申立人細川森雄及び相手方細川三郎の各本人審問の結果および審問の全趣旨を綜合すると、被相続人細川次郎は最後の住所である埼玉県大宮市○○町○丁目○○○番地に於いて昭和二七年二月一三日に死亡し、申立人主張の通りの遺産があり、その相続人は配偶者細川れん、女沼上さく、長男細川三郎(相手方)二男細川森雄(申立人)二女水野うら、三女山口くめ、五女山口まるであつたが、相手方を除いた爾余の相続人(申立人を含めて)はすべて当裁判所に昭和二七年五月二日相続放棄の申述をなし右申述は同年五月二〇日受理されていることが認められる。しかし、右の相続放棄について細川れんの相続放棄の申述については、被相続人次郎の三五日の法事の際、右次郎の遺産について相手方を相続人とする協議がなされ相手方及び細川れんを除く相続人について放棄の話合いがまとまつたが、右れんはその席に終始同席したわけでなく、放棄の意思を表明したことも認められず、かつ、右日時以外にも自己の相続分についで放棄の意思を表明し、その申述の手続を何人にも依頼したことがなく従つて昭和二七年五月二〇日相続放棄のための審判期日にも当裁判所に出頭していない事実が認められる。この点に関する証人細川千代子の証言及び相手方本人細川三郎審問の結果は前記他の証人の証言及び元相手方細川れん本人審問の結果に比照し採用出来ない。殊にその方式及び記名捺印が同一人のなしたもので手続を司法書士に依頼したものであることが明白であるのに、細川れんの相続放棄の申述は何人がなしたか不明である点を考え合せると結局細川れんの放棄の申述は何人かが無権限に署名捺印を冒用したもので真実同人の意思に基かずなされたものと断ぜざるを得ないから、その相続放棄は無効である。よつて、細川れんは被相続人次郎の遺産について配偶者として三分の一の相続分を有するものである。申立人が昭和三六年二月一〇日細川れんにより同人が有する相続分のうち三分の一の贈与を受けたことは前記細川れん及び申立人本人審問の結果により、認められるので右細川れんが相手方に対し分割を求める主文掲記の部分が相当であるかどうかについて判断するのに、被相続人次郎の遺産が別紙目録の田畑等合計二町五畝一三歩の土地と家屋一棟(床面積七二坪八合)であることは前記認定の通りであるから右細川れんの相続分は右遺産のうち三分の一即ち土地について算数上平均すると六反八畝三歩余と家屋のうち二四坪余となり、申立人は右のうち三分の一即ち、土地については約二反二畝二〇歩の譲渡を受けたことになる。

そこで申立人が希望している大宮市○○町○丁目○○○番畑九畝八歩、同所○○○番山林一反四歩の土地は合計一反九畝一二歩の内輪の算出であり、また被相続人名義の遺産の昭和三六年度の固定資産税課税価格証明書に記載する金額から勘案するとその総額は金九三一、一六〇円でありこの中細川れんの相続分三分の一の額は金三一〇、三八六円となり更に申立人が譲渡を受けた右の三分の一の額は金一〇三、四六〇円となるが、申立人が分割を求めている前記二筆の土地の評価額は合計三〇、二三〇円にとどまりしかも、土地については、各筆の間に評価上の較差も殆んどなく、申立人の希望する具体的な土地について相手方が分割を拒むべき特段の事情も認められないから主文掲記の二筆の土地を申立人主張の通り先づ細川れんに分割するのが相当と認められる。

次に元相手方細川れんは昭和三七年九月一九日死亡し申立人と相手方ならびに水野うら、山口まる、山口むめが相続人となつたが、申立人と相手方以外の相続人は昭和三七年一二月一七日浦和家庭裁判所に対し相続放棄の申述をなし右申述は同年同月二四日受理され相続人は申立人と相手方の両名となつたことは、本件記録により明白であり、申立人は被相続人次郎の遺産に対する亡細川れんの爾余の相続分について申立人と相手方との共有関係を求めるので、この点についても、当裁判所は右の処置を妥当と認める。よつて申立人の本件申立はすべて理由があるから認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 吉村弘義)

別紙目録<省略>

参考

決定(東京高裁 昭三六(ラ)七二六号 昭三六・一二・六取消 差戻)

抗告人 細川森雄(仮名)

主文

原決定をとりけす。

本件を浦和家庭裁判所へさしもどす。

理由

本件抗告理由は別紙抗告状中抗告の理由の部にしるすとおりである。

よつて案ずるに、原審証人山口くめの証言のみによつては、昭和二七年五月二日附細川れん名義で浦和家庭裁判所にたいしなされた相続放棄の申述が同人の真意にいでたものであることを認めるに十分でなく、他にこれを確認するにたりる証拠がない。そこで当裁判所はさらにこの点についての審理をつくさしめる要あるものと考え、本件を浦和家庭裁判所にさしもどすのを相当と認め、主文のとおり決定する。

別紙

抗告の理由

一、抗告人の申立にかかわる浦和家庭裁判所昭和三六年(家)第二二五〇号遺産分割審判申立事件について同裁判所は昭和三六年九月二〇日「本件申立を却下する」旨の審判をなし同年九月二二日抗告人に通知があつた。

二、右審判の理由は「細川れんは昭和二七年五月二日浦和家庭裁判所に相続放棄をなし、その申述は受理されたことを認める事ができる。

右申述が真実同人の意思に基いたものであるかどうかの点に付証人山口くめ同山口まるの証言と被相続人死亡後今日迄細川れんの相続放棄について別に問題もなく過ぎて来た事実をあわせて考えると細川れんの相続放棄の申述は真実同人の意思に基いてなされたものと断定ができる。してみれば細川れんは被相続人細川次郎の遺産について何等の権利をもたないものであるから同人から相続分の譲渡を受けたという申立人も同様何等の権利をもたないものであるから本件申立は理由がないとの事である。

三、ところが細川れんは本件審判及浦和地方裁判所に対しても前記相続放棄の申述をしない旨(昭和三六年(モ)第二八七号証拠調)陳述しこれを否定している。

又本件証人等の証言によるも真実同人の意思に基き相続放棄を為したものであると認定することは出来ない。却つて相続放棄の件につき各相続人が話合つた時細川れんは出席しなかつたことがうかがえるに拘らず同裁判所は相続放棄の申述が受理されている点に先入せられ事実に反する判断をなし本件申立を却下したことは不服であるからこの抗告に及んだ次第である。

参考

審判(浦和家裁 昭三六(家)二二五〇号 昭三六・九・二〇審判 却下)

申立人 細川森雄(仮名)

相手方 細川三郎(仮名) 外一名

被相続人 亡細川次郎(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は、申立人は被相続人細川次郎の二男、相手方細川三郎は被相続人の長男、相手方細川れんは被相続人の妻であるところ、被相続人は昭和二七年二月一三日死亡し、その相続人としては申立人と相手方等の外に子沼上さく、二女水野うら、三女山口くめ、五女山口まるがいたが、相手方細川れん及び相手方細川三郎を除いた爾余の相続人(甲立人も含めて)は、すべて当裁判所に相続放棄の申述をなし、右申述は受理されたのである。従つて被相続人の遺産は相手方細川れん及び相手方細川三郎の共有となつた。しかるところ申立人は昭和三六年二月一〇日相手方細川れんから同人の相続分三分の一のうちその三分の一の譲渡をうけた。そして被相続人の遺産は別紙目録記載のとおりであるから申立人は右物件について三分の一の三分の一すなわち九分の一の権利をもつわけであるから他の相続人である相手方等に対して遺産の分割を求めるものである、というのである。

相手方細川三郎は申立人の主張に対して、相手方細川れんは既に昭和二七年五月二日当裁判所に相続放棄の申述をなし、その申述は昭和二七年五月二〇日受理されているから相手方細川れんは被相続人の遺産について何等の権利をもつものではない。従つて同人が相続分の一部を申立人に譲渡したからといつて申立人はこれによつて被相続人の遺産について何等の権利をもたない。と主張している。

そこで先ず相手方細川れんが既に相続の放棄をしているかどうかの点が問題になるわけであるが、審理の結果によれば相手方細川れんは昭和二七年五月二日当裁判所に相続放棄の申述をなしその申述は受理されたことを認めることができる。そこで問題は右申述が真実同人の意思に基いたものであるかどうかの点であるが、この点について当裁判所は相続の放棄をした子沼上さく、二女水野うら、三女山口くめ、五女山口まるを証人として尋問したが右四人の証人のうちでは三女山口くめが最も記憶もたしかであり、述べるところも明確であつたので同証人の証言が最も信用できるところ、同証人は「被相続人の三五日に相続人たちが集つたとき相手方細川れんは遺産はいらないといつていた」という趣旨のことを述べている。又証人山口まるも「いつであつたか記憶はないが相続人たちが集つたとき細川三郎から遺産をほしいかどうかきかれた」という趣旨のことを述べている。これらの証言とそれに被相続人死亡後今日本件が問題になるまでの間相手方細川れんの相続放棄について別に問題もなく過ぎてきた事実をあわせ考えると、相手方細川れんの相続放棄の申述は真実同人の意思に基いてなされたものと断定することができる。してみれば相手方に細川れんは被相続人細川次郎の遺産について何等の権利をもたないのであるから同人から相続分の譲渡をうけたという申立人も同様何等の権利をもたない。よつて爾余の点についてはもはや判断するまでもなく、申立人の本件申立は理由がないこと明白である。よつてこれを却下し、主文のとおり審判する。

別紙目録<省略>

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